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2024-03

廃業と失業     - 2013.12.21 Sat

1998年に長野オリンピックが華々しく行われました。
当時、私は長野にいました。

オリンピックの開閉式会場のスタジアムから、車で10分ほどのところに住んでいました。

当時、私は家業だった小売業の仕事に就いていました。
物心ついたときから、商売の環境で生まれ育っていました。

時代の流れと変化は厳しすぎました。

バブル崩壊後、不景気の波は容赦なく襲ってきました。

構造不況業種だったこともあり、父と母が築いてきた家業は、長野オリンピックに絡む仕事が最後となり、そして廃業しました。


いわゆる自主廃業でしたから、残務整理が大変でした。

全てが終了したとき、私は無職の立場に立たされたことをようやく実感したのでした。

そのとき、

「あっ、これで外国にいけるぞ!」

と思ったのです。

家業の仕事をしているときは、休みらしい休みもなく、四六時中働いていました。
海外に出かけることなどできませんでした。


私は24歳のときに、ワーキングホリデービザを使ってカナダに1年間いたことがありました。
たった1年のカナダ滞在は、大きな刺激やヒントを与えてくれたのでした。

しかし、日本に帰国後、いったん仕事に就いてしまうと、毎日の現実の中に埋もれてしまいました。

そして、、、、、


「海外移住だなんて出来るわけない」
「そもそも短期の海外旅行だって休みが取れない」

こんな有様でした。

だんだんと、海外移住への夢は 「不可能だ」 という消しゴムで消されていったのです。


ところが!

人生っていうのは、いつ何がおこるか分からないものです。

家業の廃業。

これが私の運命を大きく変えたのでした。


「考えてみれば廃業によって自由の身になったんだ!」

「だったら、これで海外移住できるじゃないか!」

「人生が変わるチャンスかもしれないぞ!」


私の心の中には、何人もの私が激しく意見を出しあいました。

それがカナダ移住の最初のキッカケとなったのです。

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1999年3月   - 2013.12.31 Tue


今日は2013年12月31日です。

私がカナダに移住したのは1999年3月14日ですから、、、、、、、、
あと2ヶ月半で丸15年になります。


15年前のこととは言いながら、

カナダに移住したあの日のこと

は今でも鮮明に覚えています。


私と妻、そして愛犬を伴って日本からカナダへの移住でした。
これがなかなかに長い行程でした。

愛犬を同伴するために、移動時間にかなり余裕を持たせました。

まず、日本を発つ日が決まりました。3月14日でした。

出発の数日前に、中央高速道路で長野から妻の実家の東京都内へ向かいました。
妻と愛犬を東京に残し、私はその日のうちに長野にとんぼ返りしました。

翌日から私は住んでいたアパートを引き払う手続きや荷物の最終整理をしました。
カナダに持っていくスーツケースを宅急便で成田空港に送り、長野を全部空っぽにしたのでした。

日本を発つ前日の夜、私は東京都内に移動しました。
そして翌朝、妻の実家からタクシーで京成上野駅に向かいました。

上野駅に到着したのは午前9時頃でした。
愛犬を連れて上野公園に向かいました。

成田空港へ向かう列車の自国まで6時間以上ありました。
愛犬をできるだけ散歩させて、くたくたにさせたのでした。

動物移送は規定のゲージに入れなければなりません。
成田空港までは約1時間です。
成田空港からバンクーバー空港までは約9時間かかります。

これらの移動中は、決して広いとは言えないゲージの中に入れっぱなしになりますから、できるだけ上野公園で散歩させたのでした。

夕刻、予定通り飛び立ったバンクーバー行きのフライトは順調に私たちをカナダへ運んでくれました。

バンクーバー空港に到着したのは、現地時間の午前10時ごろでした。
無事に入国を済ませ、愛犬を引き取りました。


愛犬は元気でした。


しかし、私たちが向かう目的地はケロウナでしたから、バンクーバーからまた飛行機を載りつながなければなりませんでした。


バンクーバー空港の脇に公園があるので、そこでできるだけ散歩をさせようと思っていた私は、、、、、、、、
ケロウナ行きのフライトをできるだけ遅い時間にしていました。


バンクーバー発は夜8時でした。


それまで、私と妻、そして愛犬はバンクーバー空港にずっと待機しながら、、、、、、、、、
愛犬の気の向いたときに公園で歩き回る、ということを繰り返していたのでした。

そして、いよいよケロウナに向けて飛び立ちました。
ケロウナ空港に到着したときは夜9時を少し回った時間でした。


友人が迎えに来てくれていました。
荷物と愛犬を載せて、空港から約30分ほどの住宅地に到着しました。

ここに、初めてカナダで住む家を借りていたのでした。

そして、ようやく私たちは長野からケロウナまでの長い旅を終えたのでした。


もう15年も前のことです、、、、、、、、、、、、

でも、、、、、、、、

あの日のことは今でも鮮明に覚えています。


ものすごく不安だった、、、

でも、その不安よりも希望の方が若干勝っていたと思います。

当時31歳でした。

今、振り返ると、あの年齢だったから無茶できたんだなあ、、、、、
と思うんです。

今、この年齢であのときと同じことがやれるか? と自問すると、、、、、、

たぶん、できないと思います。

我ながらよくやったなあ、、、、と。

自由なチャレンジ  - 2014.02.18 Tue

カナダに移住する前の私は、いろいろなシガラミでがんじがらめでした。

それらは、とても窮屈なものでした。

しかし、、、、、、、、

その窮屈さを我慢して受け入れていれば、、、、、、、、

普通に日本で暮らして行く事が出来たと思います。

それを「安定した生活」だと言う人もいます。

生きて行くためには、多かれ少なかれ、いろいろなシガラミがあるのは当然だと。


でも、、、、、、、

どうしても我慢なりませんでした。

なんだか、どんどん自分が小さくまとまっていくようで、
そうなることに何の希望も描けませんでした。

瞬間的に、そうした迷いや悩みから逃れる術が日本にはたくさんあります。

カラオケ、お酒、ギャンブル、娯楽、、、、

一時的にそうしたものに逃れると、、、、、、、、、

「ま、これで良いか、、、」 って思ってしまうのかもしれません。

なんか、違うよなあ、、、と思いつつも、毎日が過ぎ去って行くうちに、、、、

1年、3年、10年、、、、、 と、時が過ぎて行くのかなあ、、、、、と思ったとき、

一日も早く、そういう環境から飛び出そうと思ったのです。

今にして思えば、1999年にカナダを飛び出したのは、相当な無理を伴いました。

でも、、、、、、

日本を離れて、外国に移住するというのは、かなりな無理をしなければできなかったと思うのです。



カナダから日本へ  - 2014.02.26 Wed

カナダに移住した私は、最初から起業しました。

商売のターゲットは最初から日本市場でした。

カナダに移住したのだから、普通は、、、、、

カナダで働いて、カナダで暮らす、ということをイメージしがちです。


でも、、、、、、、、、
私は最初から日本市場をターゲットにしていました。


なぜなら、日本の市場の方が遥かに大きいからです。


日本の人口は、 1億2600万人。
カナダの人口は、 3500万人。

3倍も違うんです。

それと国土面積の違い。
カナダは世界2位の広い国土を持っている国です。
それは日本の国土の27倍です。


ってことは、人口密度も極端に違うと言う事ですが、それは商圏の大きさの違いを意味します。

カナダの総人口3500万人は、、、、、

東京都+埼玉県+千葉県+神奈川県 = 3550万人ですから、、、

関東地方の1都3県とカナダは同じ商圏規模だということになります。

そう考えると、関東地方だけを見ても、すごく魅力的な市場に見えてしまうのです。

だから、私は最初から日本市場に向けたビジネス展開をしたのです。



移住直後の生活   - 2014.03.03 Mon

カナダに移住したのは、1999年3月のことでした。

成田からバンクーバーを経由して、その日のうちにケロウナに到着しました。

最初に住んだ家は郊外の住宅街の中にある一軒家でした。

あのとき、為替は1ドル75円くらいでした。


今と大きく異なる事は、当時のカナダ国内は長引く不況のせいで、
物価もかなり安く、今と比べると半分以下でした。

最初に住んだ家の家賃は、当時1200ドルでした。

かなり新しい家で、築3年くらいの家でした。
ベッドルームは4つあり、2台収容のガレージがあり、
リビングも広く、私と妻と愛犬にとっては、広すぎる家でした。


振り返ると、カナダで住む場所はこれまでに4回変わりました。
でも、一軒家は最初に借りたその家だけです。

何もかも初めて経験することばかりでしたし、、、、、、
そもそも日本とはシステムが違う事もたくさんありました。


普通に暮らすという基礎的なことを、あの家に住んでいた1年ちょっとの間に、
私も妻も体得したように思います。

その住宅街は、今もケロウナにあります。

ケロウナに行ったとき、たまにその住宅街に行ってみる事があります。

住宅街の他には何も無いので、とりとめて行く用事はありません。
ですから、気がつくともう何年も行っていないという時期もありました。


昨年10月、2年ぶりにその住宅街を訪れてみました。
見慣れた家々の風景でしたが、私たちがそこに住んでいたのは、
もう、14、15年前のことになるんです。

あっという間だったようにも思うし、
つい先日のことのようにも感じます。

はっきり言えることは、今でも強烈に印象に残っているという事です。

それは、私たちのカナダ移住生活のスタートの場になったところですから、
何もかもが新鮮で、強烈な刺激、驚き、感動として残っているからでしょうね。

それにしても、もうあれから、14年、15年が過ぎたんですねえ、、、、、、




初めての散歩    - 2014.03.04 Tue

ケロウナの郊外の一軒家でカナダの生活がスタートしました。
1999年3月中旬のことでした。

忘れもしない、3月14日にカナダに到着し、ケロウナに到着したのは同じ日の夜9時でした。
あたりは真っ暗でした。

でも、一夜明けて朝になると、そこがとても閑静な良い住宅街だということが分かったのです。

日本から一緒に連れて来た愛犬を散歩に連れ出すために、
私と妻は愛犬と一緒に住宅街の中を歩きました。

小高い丘の上に開発された住宅街は、どの家も豪華でデザインに凝った家ばかりでした。

「あれ? 家が一番小さいんだなあ・・・」

一通り、住宅街を愛犬と一緒に散歩している中で、私たちが借りた家が一番小さいタイプだったことが分かりました。

と言っても、私たちにとっては、とんでもなく広い家だったのですが、
カナダの人から見たら、普通の小さい家なのでしょう。


住宅事情の違いを、このときほどまざまざと感じた事はありません。

全ての家には、必ず芝生の前庭があります。
家の前の道路と、建物の間に、贅沢なくらいの芝生のスペースがありました。
どこの家にも、必ずです。


家の愛犬は、当然のことながら、芝生に入りたがりましたが、
さすがにそれはダメですから、、、、、、

「ダメダメ、入れないんだよ!」

と妻が初日から諭していました。

利口な愛犬は、すぐにそれを理解し、それ以降、散歩の途中で人の家の庭に入るようなことはしませんでした。


愛犬は、外でオシッコやうんちをするので、朝と夜、最低2回は散歩に連れ出さなければなりません。
多い日は、3回くらいです。

この住宅街には、移住当日から1年3ヶ月ほど住みましたので、
私たちは、この住宅街の中を、愛犬の散歩を通して歩かせてもらっていました。

ひとつひとつの風景が、今でもはっきりと思い出せるということは、
それだけ味わい深かったということなのでしょう。

この住宅街で、最初の生活がスタートできたことは、今振り返っても大正解でした。



芝刈り       - 2014.03.05 Wed

カナダに移住して最初に住んだ家は郊外の住宅地にある一軒家でした。

いかにもカナダらしく、家の前から東側につながるように芝生の庭がありました。

日本人の私にとって、それはほどよく広い芝生の庭でしたが、、、、、、、

カナダの住宅事情から考えれば、けっして広い庭ではありません。

でも、、、、、、、、、、、
やっぱり日本のレベルで考えると、かなり贅沢な芝の庭だったと思います。



さて、、、、、、、、
この家を賃貸して住んでいたのは、1999年3月〜2000年7月までの間でしたが、
家を借りて住む立場としては、庭の管理は絶対的な責任として負わされます。

ようするに、、、、、、、

「芝刈りをちゃんとしなさいよ」

ということなのです。


そこで私は、ガソリンエンジンの一般家庭用の芝刈り機を早速購入しました。


ケロウナの夏は強く、芝はどんどん伸びます。
それに、土壌が良いせいもあって、本当に見事な芝の絨毯になるんです。


芝刈り機を駆使したいろいろなテクニックを覚えました。

ケロウナの6月〜9月は、雨が降らない晴れの日がずっと続きます。

夏の間は、1週間に1度は芝刈りをしないと間に合いません。


でも、、、、、、、、
2日か3日くらい我慢するんです。

そうすると、芝はびっしり詰まったように密度を保ちます。
通常よりも長くなった芝を刈り込むと、、、、、、

本当に絨毯のようにキレイになるんです。


今、思い出しても懐かしい、、、、、


あの家には、1年3ヶ月しか住まなかったので、
春から夏の良い季節を庭で楽しめたのは2シーズンだけでした。

その芝の庭に、外用のテーブルと椅子を置いて、、、、、、、、

知り合いや友達とコーヒーを飲んだり食事をしたり。

ああいう庭の使い方ができるっていうのは、ケロウナの住宅事情が優れているからに他なりません。

当時の写真を見ると、、、、、、、、、、、、

「ああ! 懐かしい!」

って、思ってしまいます。

10年分の衣類   - 2014.03.06 Thu

日本からカナダに移住する際、別便で引越の荷物を日本から送りました。

その中で、もっとも重要視したのは衣類でした。


それ以前から、何度もカナダを経験してきた中で、、、、、、、、、

カナダの衣類はダメだなあ、、、、、、、、、、、

と強烈に感じていました。


スポーツ系アパレルを取り扱う仕事を日本でやっていた私にとって、
生地、縫製、撥水効果などなどの衣類を見定める目を持っていたため、
カナダで売っている衣類の酷さは強く実感していたのです。


従って、日本から大量に衣類を持ち込みました。

下着、靴下はもちろんのこと、ズボンやシャツなど、
私と妻は、向こう10年は衣類を買わなくても良いというくらいでした。


さて、、、、、、

カナダ移住も15年が過ぎました。

当時、日本から持って来た衣類は、十分に使い果てて捨てたものもありますし、
未だに変わらず使っているものもあります。

さすがに、靴下はカナダに持ち込んだ10年分が綺麗になくなったという感じです。


私は年に2回は日本に行きますので、
下着や靴下、その他の衣類も基本的には日本で購入してきます。


カナダでは、、、、、、、、、

この15年の間に、数えるほどしか衣類を買っていません。


いずれにしても、衣類に関しては、価格と質の両面から見た場合、、、、、、


間違いなく日本で売られている品がダントツに良いです。


これから、海外に移住される方は、たっぷりと衣類を日本から持ち込んだほうがいいですよ。



靴         - 2014.03.07 Fri

衣類と同様に、靴も日本から持ち込んだ方が良いと思います。


はっきりとは覚えていませんが、
カナダに移住したとき、私は日本から10足以上の靴を持ち込みました。


基本的にはスポーツ系シューズが中心でした。

日本で、スポーツ用品の仕事をしていましたので、スポーツ系シューズに関しても、
私はプロの目利きです。


もっとも使いやすいのは、テニスシューズです。

アディダスのテニスシューズだけで5足くらいを新品で持ち込みました。

仮に、、、、、、、、、
このテニスシューズを毎日、履き続けたとします。

日常生活の中での普段履きですから、それほどハードな消耗には至りません。


こうした使用の場合、通常1年でもう使えなくなります。

「履く」という行為についていえば、1年半〜2年くらい持ちますが、
そうなると、見た目にもぼろぼろで汚らしくなります。

ですから、ずっと履き続けた場合は、最長1年で寿命なのです。


私は日本から持ち込んだ靴をローテーションして使っていました。
消耗を抑えるためです。


でも、やっぱりカナダ移住後、10年が過ぎた頃には、全ての靴は寿命を終えました。



今、、、、、、、

日頃使っている靴を眺めてみると、、、、、、、
移住したときに持って来た靴は一足も残っていません。


靴には本当に苦労します。

いい品が無いんです、、、、 カナダには、、、、


1年半前に仕事でラスベガスに行ったとき、
アメリカで最大のアウトレットモールがあると聞いたので、
靴を買いに出かけました。

カナダの半額で買えましたので、2足買ってきました。

基本的に私は靴も日本で買うようにしています。


衣類同様、靴も日本で買った方が断然いいですね。



日本の品物     - 2014.03.09 Sun

カナダに移住した15年前と今とでは、、、、、、、、、

何がどれだけ便利になったのでしょうか、、、、、、、


便利という意味は、、、、、、、、

「日本の品物がどれくらい手に入りやすいか?」

という意味です。



う〜〜〜〜〜ん、、、、

それほど極端に良くなったようにも思わないのですが、、、、、、、、


海外に移住し、外国の地で暮らしていると、
最低限の日本の品物はどうしても必要です。


今の時代、米、ミソ、醤油は、アメリカで作られた品が、
普通にどこのスーパーでも売られていますし、
極端なことを求めなければ、一通りの日本食材はスーパーで買う事ができます。


日本のスーパーのような品揃えには、ほど遠いですが、
まあ、普通に食事に使う材料類は何も困らずに入手ができます。


ただ、モノによっては、日本から輸入されてくる食材の場合は、
やはり価格はとても高いです。


1992年。
この年、私はワーキングホリデーでカナダに来ました。

バンクーバー郊外に当時、小さな日本食材店がありました。

たまたま、そこに行ったとき、
日本の缶コーヒーが売っていました。


日本では、あの当時、100円で売られていた品でしたが、
同じ物が、3ドルで売られていました。

当時の為替は、1カナダドルが108円でしたから、
ざっと、300円以上ということです。


1992年を振り返ると、なんとなく価格というのは2〜3倍の開きがありました。
それは、輸入コストが掛かる割には、物量が少ないことが原因でしたから仕方ありません。


あの当時と今と、、、、、

実はあまり変わっていないように思います。

日本の食材がカナダに輸入されると、こちらでは、
やっぱり2〜3倍の価格になってしまうのは昔も今も変わっていないように思えます。






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作者紹介

 滝澤 修

Author: 滝澤 修
長野県千曲市出身
1999年にカナダに移住
バンクーバーとケロウナに両在住

移住地のオカナガン地方は超地産地消のオーガニックワインの産地。
日本では知られていないオカナガンワインをカナダから日本に輸出し、日本で広げるためにカナダから情報を発信し、冬季半年は日本各地に出張しワインイベントを実施しています。


滝澤の簡単自己紹介
長野で生まれ育ち、家業の廃業が人生の転機になった。1999年カナダBC州ケロウナに移住する。
起業してカナダ産ワインの輸出ビジネスを開始し日本にカナダのワインを広げる活動を行う。
2009年からケロウナとバンクーバーの二拠点生活をスタートする。夏はケロウナ、冬はバンクーバーが基本となる。
ゴルフを通して健康作り、コミュニケーション能力を養うプランを日本人向けにプランしてケロウナで実施する。
もっと多くの人に出逢い、刺激しあい、信頼しあえる関係を育める人生になるよう今もなお模索しながら実践中です。
滝澤のプロフィール

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ケロウナに来てみませんか (35)
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私のカナダ移住とは?   (18)
カナダ産ワイン      (53)
海外移住は正解なのか?  (97)
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